2004年10月20日

 ヴィスコンティ映画祭に行ってきた

ベニス  ベニス  ベニス

ルキノ・ヴィスコンティ映画祭にて〜2004年10月17日(日)

『ベニスに死す』Morte a Venezia / 1971年
監督/ルキノ・ヴィスコンティ
出演/ダーク・ボガード、シルヴァーナ・マンガノ、ビョルン・アンドレセン

映画史に残る名作、「ベニスに死す」をスクリーンで観られる日がくるなんて夢のようだ。早くから前売り券購入し、指折り数えて待ったその日が来た。
ビデオで何十回と観ているが、何度観ても飽きない色あせない、そして毎回心は同じように反応し震える。これは頭とは別のところからくる感覚だから勝手にそうなる。そういうものは人生においてそう滅多にない、いやほとんどないだろう。私が偏愛型なので、そう思うだけかもしれないけど。感受性の強い人間はもっと色々感動したり感じたりしてるのかもしれないな。それもちょっとくやしいけど。
しかし、多分私の中でこれを超える映画はもう現れないだろうとさえ思う。とにかく、全てが完璧なのだ。

公式HPにもあるように、これまでヴィスコンティ作品が一度に上映されることはなかったという事で、沢山のファンが心待ちにしていたのだろう。会場は超満員だった。映画館ではなくホールでの上映のため、若干スクリーンが小さい。細部まで目に焼きつけたいので、前から3番目の真ん中に座る。
会場が暗くなり、一斉にシーンとなった瞬間、マーラーの交響曲第5番・第4楽章アダージェットが静かに流れてきた。ここでもう胸がいっぱいになる。波のきらめき、船から上がる煙・・スクリーンで観る映像は、まるで手を伸ばせば届きそうなくらいの臨場感と美しさだ。ヴィスコンティの映画、特に「ベニスに死す」においては完璧なまでにその美意識が貫かれていることに驚愕する。船頭、物売り、海辺で横たわる人々遊ぶ子供たち、それら登場人物が身に着けているものでさえ、ものすごくクールでカッコいい。ホテルの中の調度品、たとえば花瓶の色、花の色、これら全ては「たまたまそこにある」のではなく「それでなくてはいけない」、つまり映画の中にはどこを探しても異質なものはなにもないのだ。好みの問題、ということもあるがいやという程の美意識に触れるだけでも十分に価値がある映画だと思う。私には好みのものばかりで、目を皿のようにして観て吸収しようと必死だ。

それから、映画が始まってすぐ気がついたことがある。いつも観ているビデオは編集されていたものだった。確かめるとニューマスター版(って何?)とあるが確かにノーカット版とは書いていない。ビデオは編集されているのが普通なんだろうか。カットされているのは、タッジオを含めた家族の会話だ。なにげない会話が殆どだったが言葉を発したタッジオは、そのイメージよりもっと子供らしく感じる。そして、今までこの家族の中にいる、母親以外の女の人の役割がよく分からなかったが会話を聞いてやっと分かった。でもこれはこの時代のヨーロッパの歴史を勉強した人ならもっと早く気付くものかもしれないな。会話の部分は確かに無くても大差ないのかもしれないが、完全版が観れたことは良かったと思う。

また、この映画につきまとう同性愛、少年愛などのキーワード。確かにそれらは存在するのかもしれないが、私はあまり重要とは思えない。タッジオは美少年であるが、その美しさは心を揺さぶらない。そしてその美少年に心奪われ恋焦がれる、といったシチュエーション自体も私にはさほど重要に思えない。もちろん少年の美や同性愛を無視してはこの映画は成り立たないので、全てが大事なエッセンスではあるのだが。

ここで重要と言っているのは、映画のテーマ、すなわちヴィスコンティが何を言いたくてこの映画を撮ったかということである。私がこの映画に感じるのは、主人公の作曲家エッシェンバッハに見る人間の美しさだ。死の匂いを纏った老人、孤独、滑稽さ、平凡、頑なさ、狂想。そして自ら死化粧をほどこし、死装束で果てていく様に胸を打たれるのは何故だろう。
美しいもの芸術たらんものを求める純粋。死臭を放つ体にもなお宿る躍動。感動を与えるのは、命そのものの輝きなのだと思う。蝋燭が燃え尽きようとする時、一瞬炎はより明るく強く燃え上がり、そして消えてなくなる。そこに蝋燭が存在したのかどうかさえも分からない。
命の営みはそれだけで美しい。そして命の最後の炎を燃やす時、その輝きはより美しく儚い。

映画は総合芸術だという。「ベニスに死す」はまさにそれにあてはまる。映像、音楽、ファッション、テーマなどが渾然一体となった至高の芸術。全編に流れるマーラーの交響曲第5番・第4楽章アダージェットは、この映画の中で最も効果的に使われていると思う。やがて沈みゆく運命を予感させるベニスの甘美な魅力と相まって、観る者の心に深く静かに響く。何度聞いてもせつない。

私はこの映画に出会えて本当によかった。
なによりもいい映画に触れることによって、いつもは心の奥に沈んでいる何かが表面化してくる。それは言葉であり、涙であり、記憶であり、これまで気づかなかった何かだ。もちろん映画に限らずだが、自分の琴線に触れるものをたくさん持ち、その上で自分の言葉を持っている人は幸せだ。そうなるには常に感性を磨いていないとダメだなと思う。その方法はまだ模索中だが(笑)とりあえず、私は死ぬまでにもっともっと「美しい」ものが見たい。
posted by みみいこ at 19:14| Comment(6) | TrackBack(0) | Love movies | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
みいこさん、こんばんは。
ビスコンティは高校、大学くらいの時に観ましたよ。
「山猫」、「郵便配達は二度ベルを鳴らす」、「ベニスの死す」、
「イノセント」をたしか岩波ホールとかで見た記憶があります。
最近はハリウッド映画ばかりでこの手の映画は全然観てませんが
久々に観たくなりました。
Posted by oshi at 2004年10月21日 00:02
oshiさん、こんばんはー。
岩波ホールですか、し、渋い〜〜♪oshiさんがビスコンティ観てる時期に
私も学校をさぼって、銀座の小さな映画館で「天井桟敷の人々」
「第三の男」「風と共に去りぬ」などなど、クラシックな映画を観まくって
ました。あの頃って、そういうのが観たい時期なのかな(笑)

「郵便配達は二度ベルを鳴らす」もいいですね。
「山猫」(イタリア語完全復元版)は、新宿タカシマヤ『テアトルタイムズスクエア』
にて10月23日からロードショーが始まりますよ!是非この機会に^^

Posted by みいこ at 2004年10月21日 01:07
みいこさん、こんばんは。
教養がないなんて、誰が言ってるんですか。私はヴィスコンティの映画はちょっと苦手なんですが、このブログよんで、ヴィデオ見ようかなと思いましたよ。ほんとは、大きなスクリーンで見ないと良さがわからないけど、今の関西でそれはまず無理だからねえ。でも、ヴィスコンティって、まさに三島の世界(というほど読んでないけど)を映像化したような・・。
Posted by Shoe at 2004年10月21日 22:30
「風と共に去りぬ」は私の洋画デビューのような
作品です。(テレビだけど。)
今でも時々DVDで見ますよ。
実は三島も一時期結構好きでした。
(退廃的というか、耽美的というか、ちょっとヤバ目ですが・・・)
テアトルタイムズスクエア行ってみようかな。
情報ありがとうございます。
Posted by oshi at 2004年10月22日 00:12
★Shoeさん
>ブログよんで、ヴィデオ見ようかなと思いましたよ。
これ最高に嬉しいお言葉です!
三島、ヴィスコンティも共通点があるし、(三島は)マーラーもお好きだったようです。
好みや傾向って繋がっているんですね、きっと。
やっぱり画面重いですか・・。サーバーが重いという噂は聞いていたんですが
(それも22:00〜0:00などのいい時間に)やっぱり重いですよね。私もそう思います。
サクサクいく時もあるんですが。こちらこそ、すみません。やっぱりエキサイトにすれば
よかったかなー。トホホ。


Posted by みいこ at 2004年10月24日 02:10
★oshiさん
「風と共に去りぬ」そういえばあれから十数年ちゃんと観てないなー。
今見たらまた違った感動があるかもしれませんね。
最近は時間の長〜い映画に集中力が続かないこともしばしばですが(笑)、
DVDで観てみようかな!



Posted by みいこ at 2004年10月24日 02:22
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