2005年05月02日

「タクシードライバー」再映!

タクシードライバー コレクターズ・エディションタクシードライバー 1976・米
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 監督: マーチン・スコセッシ
 出演: ロバート・デ・ニーロ
     シビル・シェパード
     ジョディ・フォスター
     ハーベイ・カイテル


以前一度観たきりで、もう一度観る機会をうかがっていた「タクシードライバー」。
自分にとって特別な作品を観返す時は、以前とは違う発見や感じ方をしたいがために時間をおき、じっと”その時”を待つことにしている。で、先日タクシードライバーの続編を作る話があるとエントリーに書いてから、もう一度観たいという欲求が高まっていた。
そんな時、なんと近くの映画館でリバイバル上映しているという。(〜4月22日)
何故いきなりこの時期に?とも思ったが、(アビエイターに合わせて?アカデミー賞が散々だったから?・・まあいいや)タクシードライバーをスクリーンで観られるという幸運に感謝し、半券を握り締めていそいそと会場へ向かった。
ウキウキ♪

ほんの半月程度の期間であまり知られてないのか、思ったよりお客さんが少なかった。(10人もいなかった)ちらちらと見渡すと、ほとんどが同年代ぽい。自分も含め、映画が作られた少し前に生まれた世代である。
そして、予告が終わると通常はスクリーンが広がるものだが、逆にぐぐっと中心に寄り「音声や画像に乱れがあります・・云々」とのお知らせも出たりして、あーやっぱり古い映画なんだとあらためて思う。

スカスカの会場に腰を下ろし、古い映画特有である「チリチリチリ・・」という映像音を聞いていると、、十数年前銀座の裏通りにあった今にも壊れそうな映画館に坐っている自分が思い出される。(二十歳そこそこの頃で授業をさぼっては入り浸っていた)
暗くホコリっぽい館内で、「天井桟敷の人々」「第三の男」「風と共に去りぬ」・・はたまたヒッチコック作品の数々など、よく意味も分からないまま古典といわれているものを片っ端から観た。

何を考えるでもなくただ楽しかった高校生活の後、就職もせず漠然と進学したものの、何がしたいのか何もしたくないのか、、エネルギーだけが有り余っていたあのころ。
時間だけはたっぷりあって、気だるい夏の日の午後のような日々が延々と続いていた。
銀座の街の大人っぽさとその裏通りにある場末のような映画館は、大人ぶりたい気持ちとはうらはらに日常から離れてどこかに逃げ込みたい(今の自分から現実逃避するような)、青い春の時代の象徴だったのかもしれない。

「タクシードライバー」はそんな焦燥と、若さというエネルギーに翻弄される時代を描ききった傑作である。
ベトナム帰還兵のトラヴィス・ビックルは、不眠症に悩まされていた。
眠れないからと、深夜のタクシードライバーとして働くことにした彼だが、街を走るうちにNYの街の汚らしさや不秩序に苛立ちを募らせていく。またNYという一種独特な大都会に生きる孤独と相まって、ついには狂気を孕んだ行動へと突き進む。・・・・・・・・・・・・・・・
冒頭、真っ白な煙とともにあの黄色い車体が浮かび上がる。
そして、NYの夜を彷彿とさせるトム・スコットのサックス。
このサックスの音色と、タクシーのバックミラーや窓に映る滲んだネオンの光が映し出されるシーンは、とろける程に魅惑的だ。素晴らしい。これだけでおもわずじーーんとしてしまう。
見違えるほど綺麗になった現在のNYだが、映画が撮られた時代と本質的には何も変わっていないんだなあ。
うまく言えないけどこれこそがNY!!と心で叫んでしまうくらい、、やっぱりスコセッシはすごい。スコセッシはやはりアメリカでなく、心底NYの監督だと思う。

また、大統領候補の選挙事務所に勤めるベッツィ(白人の美しい女性)に惹かれるトラヴィスだったが、このベッツィの住む白人社会と、デリを襲った黒人、襲われた側のデリのオヤジ(その黒人を何度も何度も棒で殴るシーンがある)
※どこかで聞いた話、デリのオヤジの大半が「客を見たら泥棒と思え」(笑)と言っていた時代があったというが。。NYに行きはじめた頃、なんであんなにこわーい顔をしているのか?と思ったけどこの話を聞いて、ちょっと納得したりしたことがあったな〜。
の住む世界は一生交わることがないんだなーと思う。
NYのような人種のるつぼの街では、これが現実。小さな島の中にまるっきり別の世界に生きる人々がいるというのが、この対比から見れて興味深い。

そしてこの映画では当時13歳(12歳?)だったジョディ・フォスターが、少女の娼婦アイリスを演じている。
天才的な演技については色々なところで語られていて私も全く同感なのだが、その中でもすごいと思ったのが、アイリスら娼婦を取り仕切っているスポーツ(ハーベイ・カイテル)が彼女を優しく抱き寄せて髪を撫で、「お前じゃなくちゃだめなんだ・・」というような事を言うシーン。
その時のアイリスの表情と全身から発せられるオーラがすごいのだ!!(追っているカメラワークもいい)ちょっとこんなにいいシーンは滅多にないぞ。どんなラブシーンも負けるほどだ・・(いや、あくまで私の趣味かもしれないけど)
思わず男の視線になる自分もどうかと思うけど、少女の持つ危うい魅力をその表情だけでここまで出せるものなのか。。うーーん自分が男だったら完全にやられてる。(危ない笑)
実際、この映画を観たジョン・ヒンクリーという男が、ジョディのストーカーとなり彼女の気をひくためにレーガン大統領暗殺未遂事件を起こしている。

トラヴィスは初めて抱いた目的(使命感)を狂気をもって達成し、自ら不浄なものを”洗い流した”。
平凡だけれども、何者かになりたい何かが出来るんじゃないかと考え、そんな自分への苛立ちが社会の悪徳や堕落への嫌悪と交じり合い、次第に妄想を膨らませて行動へと走っていく。
というのはまさに若さの特権である。また孤独や他者とうまく折り合えないところなど、観る側が、現在またはかつての自分の姿をトラヴィスに重ねどこか共感してしまうのもうなずける。ただトラヴィスの場合は、ベトナム戦争で心に傷を負っているということもあるが。

スコセッシが自身の著書「スコセッシ オン スコセッシ」中で印象的なことを言っている。
『自分を爆発させ、そして生き延びる男を描きたい』
これはずっと後になって製作された作品の数々に引き継がれているが、特に「カジノ」はこの言葉通りの作品でとりわけ大好きである。

映画におけるアプローチの問題に限れば、空想と現実の間に相違はないと私は思っている。無論、現実生活でそんなことをすれば精神病だ。
でも映画では、両者の境界は無視することができる。「タクシードライバー」ではトラヴィス・ビックルは現実にそういう生き方をする。極限まで突き進んで、自分を爆発させ、そして生き延びる。
こうして生き延びたトラヴィスは、また元のタクシードライバーに戻るという結末。。
自分の思いとは裏腹に、自分の行動に対して大人達が勝手に「意味付け」をするいやらしさ、またアイリスが田舎の両親に連れ戻され今では勉学に励んでいる。というような終わり方にして何故娼婦だったのかいう事には特に「意味付け」をしない(こちらは演出において)など、さすがだなあと思う。

やっぱり70年代を代表する素晴らしい映画です。
街を歩く人々のヒッピー風のファッション、今では失われてしまったあの猥雑な雰囲気とそこいら中ゴミだらけの舗道など、NY好きにとっては映像を見るだけでもたまらないでしょう。(汚いNYなんてキライって人は別ですが)
またいい映画は、人生において大切な何かを教えてくれるというのは本当だと感じます。
スコセッシが俳優として登場するシーンがあるのも必見!(これがなかなか面白いシーンで、俳優としてもすごい)

スコセッシオンスコセッシ―私はキャメラの横で死ぬだろう
posted by みみいこ at 18:43| Comment(2) | TrackBack(0) | Love movies | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
みいこさんのスコセッシへの思い入れが伝わる素晴らしい文書です。
私は表現力がないので、「面白い」、「素晴らしい」くらいの感想しか書けません。
たまたま、「ハイド・アンド・シーク」を観てジョディー・フォスターを思い浮かべてました。
Posted by oshi at 2005年05月02日 23:21
oshiさん
こんな長い(しつこいとも言う)文章を読んでくださって有難うございます。うれしいです♪
大きな声じゃ言えませんが、私は手が遅すぎなので書くのに半日かかったりするのです(笑)それでも書きたいという・・バカですね〜。
「ハイド・アンド・シーク」は予告で何度か見ましたが、デニーロの普通ぽいセーターと眼鏡が不思議な感じでした。oshiさんが主役の女の子を絶賛されていたのを読んで、ちょっと観てみたくなりました。
Posted by みいこ at 2005年05月03日 00:06
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